映画「LETO」公式サイト » CAST&CHARACTER

1981年4月11日生まれ。ドイツ・ケルン出身。
20歳からニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所にて演劇を学び、その後、ロンドンの王立演劇学校の集中コースに通う。ニューヨークとベルリンのインディペンデント映画や舞台で演じた後、2009年にソウルに移住する。
代表作として、キム・ギドク監督の『殺されたミンジュ』(14)やベンソン・リー監督の『ソウルへGO!!』(15/未)など。
※劇中歌、セリフは吹替え

as Viktor Robertovich Tsoi


ヴィクトル・ツォイ

1962年6月21日 生- 1990年8月15日没。
ロシアで国民的かつ伝説的なロックバンド「kino(キノ)」の創設者であり、そのヴォーカルとして知られる。ロシアにおけるロックの草分け的な存在で、ソヴィエト連邦全土にこのジャンルを広めた。
朝鮮人の父とロシア人の母を持ち、レニングラードで生まれ育つ。思春期から曲を書き始め、そのキャリアを通して、10枚のアルバムを筆頭に多くの芸術的な音楽作品を生み出した。
映画『Assa』 (87/未)では本人役でカメオ出演。その後、『僕の無事を祈ってくれ』(88)で映画初主演を果たす。これを機にキノは急速に名声を掴み、「キノマニア」と名付けられたムーブメントを引き起こす。しかし、1990年8月15日、人気絶頂のさなか、新アルバム制作のために短期滞在していたラトビアで交通事故に遭い、命を落とす。28歳だった。
ヴィクトル・ツォイの死は多くのファンに大きなショックを与え、後追い自殺者が出るほどの衝撃となった。1990年8月17日、ソ連の主要新聞の一つであるコムソモリスカヤ・プラウダは以下の記事を掲載した。「もしヴィクトル・ツォイが私たちの国の若者にとって、どの政治家や有名人、作家よりも重要であるとしたら、それは彼が決して嘘をつかず、決してお金に興味がなかったからである。彼はどんなときも自分らしくあった。ヴィクトル・ツォイは私生活でもステージ上のように振る舞い、その生き方と歌に込めるメッセージに一貫性のある唯一のロックミュージシャンである。ロックの最後の英雄だ」。

1977年12月7日生まれ。ロシア・タガンログ出身。多くのポップミュージックのヒット曲を生み出したロックバンド「Zveri(ズベリ)」のヴォーカル兼ギタリストである。ロシアの音楽番組「MuzTV」の最優秀ロックバンド賞を9回にわたって獲得した他、ロシアのMTVが授与する最優秀初アルバム賞など多くの音楽賞を受賞している。本作では俳優として映画デビューを果たし、実際にライブパフォーマンスを披露したほか、スタッフとして音楽全般を担当した。

as Mayk Vassilievitch Naumenko


マイク・ナウメンコ

1955年生-1991年没。ソヴィエト連邦・レニングラード出身。
80年代前半、レニングラードのアンダーグラウンド・ロックで活動していたバンド「Зоопарк(ザ・ズーパーク)」のリーダーであり、作詞作曲も手掛けていた。
ボブ・ディランをはじめ、イギリスやアメリカのミュージシャンから多くのインスピレーションを受けており、ときには盗作が疑われる曲があったにも関わらず、ロシアロック界において最も素晴らしいアーティストの1人と見なされている。彼の歌の多くは英語の作品を多からず少なからず忠実に翻訳しているか、リメイクである(ソヴィエト連邦では、特に鉄のカーテンの向こう側で作られた作品に対して、著作権と盗作の概念が実際に定義されていなかった)。それにも関わらず、西洋のロックカルチャーをロシアの文化とレニングラードという都市の現実に移し替えて適合させたため、その影響は重要であった。
1980年後半、マイク・ナウメンコはアルコールの過剰摂取による健康上の問題にぶつかり、その死亡原因は明らかになっていない。1991年、36歳で心臓発作により自宅で亡くなったとされている。

1992年3月30日生まれ。ロシア・モスクワ出身。
代表作に『アトラクション 制圧』(17)、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』(18) 、『Attraction 2』 (19/未)など。

as Natalia Vassilievana
‘Natasha’ Naumenko


ナターシャ
– ナタリヤ・ナウメンコ

マイク・ナウメンコの妻。2人の間には息子が1人いる。ヴィクトル・ツォイのガールフレンドであり、夫マイクの人生とキャリアにおいて大きな役割を担った。

本作撮影時に行われたナターシャ本人への取材では、ヴィクトル・ツォイとの間にあったのは、あくまでも友情と絆であったと明言している。